1941年第2次世界大戦時、
ある潜水艦でのクルー達のお話。
母港を離れ1ヶ月間を過ぎた頃、商戦2隻、タンカー1隻を撃沈し、艦歴に残る素晴らしい戦果をを上げた潜水艦は母港に帰ろうとしたところ、本国からの打電でスペインのビゴで燃料、食料、整備をした後ジブラルタル海峡(6マイル、久里浜、金谷間とほぼ同じ距離です)を通過して地中海には入れとの命令を受けた艦は、その旨をクルー達に伝えた時の前後の会話。
伝える前。
「通信隊のおねーちゃん、看護婦(当時)おめーら**たい放題だぜ!」
伝えた後。
「ジブラルタルだ〜〜〜???!。艦にクリームを塗って通れというのか!?。**の様に狭い処なんだよ!。何もかもおじゃんだ!」。
という状況の中、真夜中ジブラルタル海峡を通過中英軍に見つかり撃沈されてしまうのですが、艦長を含め、機関長、第一当直士官、第二当直士官、一等航海士、そしてクルー全員が協力しあい、再浮上して統治下のフランスの母港のラ・ロシェル向け全速力で逃げていくのであるが、母港に向かう艦内は誰もが一度は聴いたことがある音楽が流れ、クルー達は3隻も撃沈させた戦果と再浮上という事を成し遂げ、そして上陸の喜びを最大限に感じていたのです。そして無事母港に凱旋するのです(「スティング」、「太陽がいっぱい」のような大どんでんがえしがあるのですが)。
このお話は大西洋上でのこと。
一方、太平洋上では、艦一同が有る時までは同じような事が有りました(と私は思う)。
とある国のイージス艦が初めて弾道ミサイルの迎撃に成功し(こん**ではありますが)、その功績は称賛に値するものであり、艦一同意気揚々と母港ではなく寄港地であるY港に向け針路を執っていたところ、なっ、なんと!!最悪の事態に陥ってしまいました。国民の生命、財産を守るという大役を仰せられている人々は、その両方をアットいう間に奪いとってしまったのです。
衝突です。
衝突の緯度経度を観るに残すところ寄港地までは数十マイル。10ノットで走っていたとすると、衝突時間04:07なので、恐らく09:00には家族、上官、仲間に迎えられ、音楽隊なんかも有ったかもしれない岸壁に接岸でき、下船準備をした後、夕方には通信隊のおねーちゃん、看護婦はいないと思いますが、「寿司、寿司、寿司!、焼き肉、焼き肉、焼き肉!を腹一杯食うぞ〜〜〜!」、なんて、るんるん、わくわくと思っていた乗組員は人間でしたら少なからずいたと思う。
ところがだ、艦内一同の心は地中海の280mの海底に沈んでいったのです(と、思う)(衝突を受けた関係者は計り知れない深さまで沈んでしまったのでしょう)。
衝突をさせてしまった人々の再浮上を願う気持ちは今はありませんが、お二人には最善を尽くし、映画のように再浮上し母港に帰還して欲しいものです、本当に!。
ps・・・参考文献(Das Boot TVシリーズ完全版 306分)
ps・・・衝突について。リプルニュース2007年2月号
ps・・・落水についてはリプルニュース2003年6月号
ps・・・潜水艦についてはリプルニュース2001年3月号
ps・・・今回の事故について今後「なだしお」の様に、事あるごとに言われるんでしょうね。建造に携わった人、これからの乗組員は少なからずトラウマのような感じでの毎日なんでしょうね。可哀想に。
インターネットで観られるヨット関係の記事は数々御座いますが、又新たに面白い物が出来ております。
ヨット文化が盛んな頃「yachting」という雑誌がありましたが、ヨット人口の減少に伴い姿を消していたのですが、web上で息を吹き返しました。
web magazine 「yachting」
http://www.yachting.jpです。
身近の事柄から世界の最先端の記事が発信されておりまして、なかなかGoodです。
かつて、ヨットを楽しまれていた方々にとって、またこれからヨットを始めようとする方にとりまして是非一度おじゃましてみてはと思います。
そして、ヨット文化が我が日本に再燃したらと説に思う私です。
長浜はまだまだセイリングには適した環境ではありませんが、暖かくなりましたら是非お見えになられる事を願っております。
お待ちしております。
わかめは最近から打ち上がりだしました、興味の有られる方は是非どうぞ。
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